関東膳所高校同窓会(2016.6.11)報告


連絡が大変遅れてしまいましたが、6月11日に関東膳所高校同窓会は百人余の出席で、急遽、参加費を値下げして8千円としましたが、余剰金もそれなりに出たようです。昭和15年卒の小笠原滋さんが出席予定でしたが、欠席され最高齢は昭和26年卒の清水健至・前会長で、私を含め古希以上は16人でした。昭和55年卒が17人出席するなど、世代交代が進んできたようです。ただ昨年まであった現役大学生が今年はゼロで、進学した後の卒業生名簿の取得が大事であることがよくわかりました。校旗と小旗、校歌のCGは会場から宅急便で返却したそうですが、こちらへの送付料は私が今度帰省したときにお払いします。なお出席者向けに以下の駄文をメール送付しました。ご参考まで。

無精者で13日、寝る間際にパソコンを開けてみたら関東膳所高校同窓会のメールがあふれており、まあ私も一言というわけで以下の駄文を書いてみました。とにかく蘊蓄を傾けるのが年寄りの癖なのでご容赦を。参考になれば出席者に転送してもらえれば幸甚です。前段は当日の私の挨拶の抄録、石鹿城については過日の幹事会で話したことです。

本校の同窓会本部が会員登録で掌握している膳所高校の同窓生は2万6千8百人余。そのうちざっと2万人弱が関西在住者でしょう。そして関東膳所高校同窓会の守備範囲である1都6県の同窓生を本校同窓会の名簿で調べてもらうと東京都1037人、神奈川県739人、千葉県382人、埼玉県270人、茨城県77人、栃木県27人、群馬県18人の2550人でした。同窓会に加入していない卒業生も相当にいるということなので実際はこれより多いでしょうが、3千人の大台には乗らないでしょう。
会費は当初1万円でしたが昨年度に9千円に下げ、今年8千円にしました。本校並みの6千円というのは無理でしょうが、なんとか下げたいものです。会費を下げるには参加者を増やすしか方法はないわけです。2年後の2018年は開校120周年、関東同窓会発足90年を迎えます。同窓生に参加を促してください。よろしく。

脱線しますが、私は校歌の歌詞にある「石鹿城址」にどんな由来があるのか在学時からずっと疑問でした。姫路城が白鷺城、彦根城が金亀城、岡山城は烏城など別名の謂れはすぐわかりますが石鹿城とはなんぞや、とずっと頭を悩ませていたのです。
それが最近大津に帰って膳所高校からほど近い神社でやっていた「もっと膳所城を知ろう」という企画展で氷解しました。
膳所歴史資料室運営協議会が作った「膳所城」のパンフレットから引きます。

膳所藩は6万石。ところが膳所城の構えは10万石以上でないと許されない外濠があり、中大手門は同じく10万石以上でないと構えられない四脚門だ、と幕府へ密告した者がいた。そこで幕府からその真偽を調査するために巡検使がやってきた。膳所藩主10代 本多康慶の時代(1679~1714)のことである。そこで藩主の命により巡検使が到着する早朝に勢多口総門から中大手門に通じる街道に大きな石を置き、犬の血を塗った菰を掛けて足軽に立番をさせた。巡検使を出迎えた家老が「今朝、山から大鹿が城下に紛れ込んだので射殺しましたが、御通行路が血で汚れていますので、こちらへ」と四脚門を避けて案内した。外濠は元々あった新堀川のことで問題にならなかった。巡検使は京都所司代に行って膳所城の構えに異常なしと報告し、何のお咎めもなかった。いずれにせよ鹿の代わりの石が膳所藩の危機を救ったので、以来、膳所城の別名を石鹿城と称するようになったと、伝えられている。

関東膳所高校同窓会会長 長崎和夫